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松村上ブログ。

ブログです。

準備で死ぬ話

赤ん坊のとき

幼稚園に通うための準備をする

 

幼稚園のとき

小学生になった時のための準備をする

 

小学校のとき

中学生になった時のための準備をする

 

中学生のとき

高校生になった時のための準備をする

 

高校生のとき

大学生になった時のための準備をする

 

大学生のとき

社会人になった時のための準備をする

 

社会人になったとき

老後のために準備をする

 

 

 

 

老人になったとき

ただ準備のためだけの人生だったと気づく

携帯電話の話

携帯電話はどんどん新しいのが出るし、

「こんなペースで新しいの出さなくてもいいんでないか」

と思っている人もいる。

 

でも会社としては新製品を開発しないとならなくちゃだから、

無理やり何か機能をつけたり容量を増やしたりして売る。

 

一応何か変わっているし、それが欲しいという人がいるのも知っている。

でも、「今持ってる携帯で十分じゃないの?」とも思う。

 

 

 

つまり僕たちは、

なくても困らないものを作るために働いて、

なくても困らないものを買うために働いている。

 

 

今日本は、そういう暮らしに慣れきっちゃってるんだから、

「俺何のために生きてるんだろう」

っていう人が出てくることに何の不思議もないと思う。

ガッツの話

「今の若者はガッツが足りない」

「私の若い頃はこんなことはへっちゃらだった」

と言ったセリフは特に新しくも面白くもないし、しかも困ったことに

肝心の、若者の役に立たないのですね。

 

 

ある時代の悩みは、現代では解決している。そこまではいい。

昭和の時の悩みは平成では解決されているものもある。

極端に言えば、原始時代の人間の悩みだって、

現代人はかなり解決している。

(飢え、当時治療不可能だった病気、出生児の死亡率など)

 

しかし、現代人は、原始時代にはなかった悩みを抱えている。

(学校のいじめやストレス、うつ病、過労死、公害や環境汚染など)

もちろん、昭和の時代になかった問題を平成人は抱えている。

 

 

時代が違うのだから悩みが違って当然だと思う。

「今の若い人は」という人たちはこの点を軽視して、

平成に新たに生まれた問題について深く考察しないので、若い世代に疎まれてしまう。

自分たちの時代の通りにやれば今の時代の問題も解決するだろうと

安易に思っているのでそのようなことになる。

 

結局話し方としては、

「昔はこうだったからもっと頑張れ」ではなくて、

「今はこうなっているからこう工夫してみてはどうか」としなければいけないのである。

「派手な色よりグレーに限る」

「派手な色よりグレーに限る」

という言葉が美術界で有名なのだそうで。

 

グレーという、一見地味な印象のある色が

画面をかなり力強く支えるという事実があるのであった。

 

個人的にも絵に色を塗るものだから、

全く心当たりがないわけでもないのだけれど、

しかしこうした肝心なことを私はつい忘れてしまうのである。

 

今はかなり線画寄りだけれど、

線画とも色塗りとも同じくらい関わっていきたい。

 

馬の話

馬のしっぽには実はそれなりの重さがあるという話。

 

馬は時速70kmほどで走ることが可能だけれど、

加速の際にはバランスが崩れやすくなる。

その時に、重みのある尾がバランスをとる仕事をするのだそう。

 

重いパーツがあったら速く走るのに邪魔なのではないか?

と、私なぞは考えてしまいがちだが、

重いパーツがあるおかげで、彼らは結局速く走れるのであった。

 

 

余計なことをやる子供達について

日本の教育のね、何もかもが間違っているとまでは言いませんよ。

でも、例えば漢字の書き取りの授業なんかでね。

先生に子供達が提出するでしょう。彼らなりに一生懸命書いて。

 

 

で、たまにいるでしょう、余計なことをやる子が。

新しい漢字を捏造して提出してくるような面白い子が。(笑)

 

そういう時にね、「こんな漢字はありません。ダメです、ちゃんとしなさい」

ではなくて、「君面白いね」って言ってあげなくちゃあかんでしょう。

よくそんなことやるねと。こんなこと普通思いつかんやと。

 

「君はこんなこともやるんだね、いいね」と言っておいて、

「でも一応、こういう書き方もあるんだよ」と言って、普通の漢字も教えとく。

 

 

子供達の、「生の部分」を殺さないまま、子供達に何か与えて欲しいんです。

上手にね。

教育の現場にいる人間に私が求めるのはまさにそこなんです。

 

 

子供達が、野生のままバラバラでいていいとは私も思わないんです。

何かユニークなことをやろうって思ったら、確かに事前に知っていることがないといけない。

読むべき本が見つかっても読めないっていうんじゃ悲しい。それはそうなんです。

でも、子供達を金型にハメろとは、一言も言っていないんです。

5%に押しかける90%

もちろん、人と同じような、

普通のことしかできません、言われたことしかやりません、

という人もいるでしょう。生まれつきそうだっていう人が。

 

それって才能でしょう?どう考えても才能なんです。

 

本の学校に通って、特に疑問も持たずに、すんなり成績とって、

そしてすんなり就職できるっていう。

会社だって、「うちは普通の、無難な人が欲しい」という会社もある。

 

そういう人は、そういう才能だったんです。

 

 

 

でも、その才能の子達は、全体の5%くらいしかいないでしょう?

なのに、日本の学校は、

残りの95%まで、この5%の子供と同じように育てようとしてる。

それで、うまくいってない子は「お前は落ちこぼれだ」とか言っちゃう。

 

会社にしてもどうですかね?

「うちはとりあえず無難な人でいいです」っていう会社が、

日本全体の会社の何%ですかね?

言われたことだけ淡々とやってね、それで定年まで行けます、なんていう会社。

やっぱり、あっても5%くらいでしょう?

残りの95%は、やっぱり何か求められちゃうでしょう。

こういうことも勉強して欲しいって。こういう能力も欲しいって。

 

 

 

で、問題なのは、

狭い5%のところに、なぜか残りの90%くらいが押し寄せちゃう、と。

それで面接に落ちて、今回もダメだった、とか言ってしまう。

そこはやっぱりね。「もっとユニークなところに行ったら?」とは思ってしまう。

 

もっといろんなところが空いてますよ、ガラ空きですよと言いたいのだけれど、

そのガラ空きなところに入っていくための燃料をね、奪われているんですね。

ずっと机に座らされて。