松村上ブログ。

ブログです。

計画のはなし

計画を立てるのは苦手なのです。

何が一番嫌かというと、それをなぞるというのが嫌なのですね。

とても退屈というか、マンネリを感じてしまうのです。

 

「ああ、わたしはただなぞっているだけだ。コピー機かなにかのようだ」

という気持ちになって、やるせなくなってしまうのです。

 

私は絵を描くときは、本当に計画しません。

まずキャラクターを一人書いて、

そこから流れを作ります。

もし最初から計画があって、

下書きがびっしりとされた画用紙が目の前にあったら、

私はとてもじゃないけれど筆を入れられません。

筆を入れる前に、その見え透いた工程を思って

うんざりしてしまうのです。

 

 

しかし社会では「まず計画しなさい」と言う。

そしてそのとおりにやりなさい、という。

「計画は嫌です、その場で思いついたことをやります」というと、

けしからん、そんな行き当たりばったりではだめだ、という。

 

(世の中では誰でもみな立派に計画していると思う。

しかし誰かうまくいっているだろうか。

国会でも立派にいろいろな計画を毎年立てるけど、

あんなに知識人が集まっても毎年なにも変わっていない。

計画するほど人がしあわせになれるというなら、とっくになっている。

 

そんなわけで、私たちに本当に必要なのは、

完璧な計画、よくできた下書きなんかではなくて、

何かあっても、今この場でなんとかしてみせます、という

ある現場力だとおもうのです)

 

 

私は計画したくないし、計画通りなんて苦痛だと感じる。

(大抵計画通りにはいかないのだから!)

しかし世の中ではどこにいっても計画をしなければならない。

一番嫌なことを必ずする羽目になる。(しかも結果がでない!)

 

 

そんなわけで、私はいわゆる会社勤めには向いていないのです。

人に迷惑をかける人は、

苦しみが先にあって、それで迷惑をかける。

 

悩みや苦しみのない人は、

最初から他人に迷惑をかけない。

 

他人に迷惑をかけたり、嫌なことをすると、

さらに自分が苦しい目にあうことになる。

苦しいところから始まり、さらに苦しいところに進むことになる。

本人は楽になりたいのに、これでは全く反対の結果になる。

本人は、それがわからないくらい混乱している。

 

彼は苦しんでいて、迷惑をかける存在になってしまった。

迷惑をかける存在になることで、さらに彼の苦しみが増す。

 

そのようなわけがあるので、

わたしたちはだれかに嫌なことをされても、

腹をたてるのではなく相手の心配をしてあげるべきです。

 

 

勝手に呼んでいる話

絵をあまり描けなかった1日に、

何か1つ絵を描いてから寝たいですとか、

ペンの筆圧が恋しくなるときがあります。

 

 

それを私は勝手に、右脳の空腹と呼んでいます。

どんなに目を凝らしても

どんなに目を凝らしても明日すら見えない

そんなわけですから こんな絵を選んでいます

必要な人に

自分の描いた絵で誰かが助かって欲しいと思って描いてるんです。

命を救うとか大げさな話ではなく。

 

今度出すお店に飾る絵が必要だとか、

大切な人に何かプレゼントしたいとか、

そういう、何か必要としている人のところに、

その人の必要なものが、何かトラブルなくスッと行き渡っていって欲しいです。

それが私の絵だったらとても嬉しいのだけど。

職人たちの話

弟子屈の砂湯「コタンの店」でフクロウを買った。

彫刻。

 

6,800円の値札が付いていたが、

3,000円で手に入れてしまった。

 

ハンドボールくらいの大きさで結構立派な木彫りであり、

半額以下では忍びないので、せめて5,000円出したいと申し出た。

しかし「俺が作ったものだから、俺の言う値段で買えばいい」と

ぴしゃりと制されてしまった。

職人というものはかくも欲のないものだろうか?

ゲームとオタクと子供の頃のせいへきの話

子供の頃の妄想で、

ある日いきなりゲームや漫画のキャラクターが自分のところまで会いにやってくる、

ということを、小学生の時分はよくもやっていた。

特に、ロトの紋章のアルスだとかでやっていた。

月刊ボンボンだかの、服部ハンゾーだとかでもやっていたし、

ドラゴンクエスト5だとかでもやった。

 

今ではそんなことはすっかり忘れていたが、

あの頃は割と本気で憧れていたのであった。

そういう、ゲームのキャラと出会うということに。

 

今私がそれをやらないのは、

今それをやるとただのオタクになるからかもしれないし、

もう体が古くなってしまって、同じような憧れ方をすると心身に支障が出るからかもしれない。

 

あの頃のような強烈な憧れかたというものは、

あの頃の自分にしかできないようにも思うし、

ああして妄想ごっこをしていた私は今でいう「オタク」という連中と

強度の点において、まるっきり同じかもしれない。

 

つまり私は、小学校3〜6年生の、3年間だけ、

私は本当の意味でオタク的情熱を持っていたかもしれない。

 

今創作活動に携わる私は、

あの頃のようなオタク的情熱で創作するべきなのだろうか。

それとももっと知識人然とした態度であくまで落ち着き払っているべきだろうか。

クロノクロスの作業用BGMを聞いたり、

みとせのりこのボーカルを聞くといつもそんな疑問が頭をもたげるのであった。