松村上ブログ。

ブログです。

脅しの話

 

私たちは脅しで生きていますね。

会社を辞めたら生きていけない、暮らしを維持できない、

ということで、いやいや会社に行ったりする。

 

こういうときはとても疲れるんですね。いやだから。

いやなんだけど、脅されているからいくんです。楽しい?

 

死にたくないから行く。脅されて。

でもそれっていつまで続く?死ぬまで続くんです。

つまり、一生脅されて生きていくんです。幸せですかね?

 

 

だから、この「脅し」というものを理解してほしいんです。

私たちは脅されて動くから結果がダメダメなんです。

 

脅されなくても会社に行くことはできるでしょう?

「月曜日が来ました。はい、会社行きます。」終わり。何か困る?困らないんです。

これを脅しでやると、

「あーあ、月曜日が来ちゃったよ。会社行きたくないなぁ。でも今月の支払いもあるし、金もたりないし、上司は怖いし。やっと内定もらった会社だもんなぁ。しゃーない、行くかぁ」と。

 

疲れるでしょう?頭の中でも延々としゃべっている。くたびれるんです、これで。ここでやられているんです。

ぜんぶ、脅しがあるからなんです。

 

 

 

脅しがないと、わたしたちは生きていけないんですかね?

というか、どうせ寿命で死ぬのですからね。

脅されようと脅されまいと、終わりが決まっている。

 

「生き続けるためにやるしかないんだ」と。

これが脅しなんですね。

生きるための努力をするぞ、という気持ちのとき。

このとき人は悩むんです。苦しむんです。

 

で、結果も出ないんです。金持ちにもならんですしね。笑

 

「生きるためにやるんだ」という、これを捨ててしまってはどうでしょうね。

どうせ仕事はするんです、人間ですから。それでいい。

でも、「金が必要だから、死にたくないから」という脅しがないんです。

 

脅しがなくなれば、私たちはいきなり人生が楽しくなるんですよ。

 

あなたの仕事から「生きるためにやってます」というテンションだけ、

綺麗に引き算できるんです。しちゃっていいんです。

仕事は仕事でね、面白おかしくバッチリやっちゃえばいいっていう話なんであって。

 

 

仕事をするにあたって、「死なないためにやります」という動機は暗いんですね。

全然楽しくない。死なないため、生きるため。何歳まで?それもわからない。

辛くなるに決まっているんです。

 

 

 

仕事は、いい暮らしをしたいとか、そういうことを置いておいてやる。

社会にとって必要だから。あったほうがいいから、やる。

それをね、脅されてやるっていうのはね。やっぱり気持ちよくないんです。

 

 

 

というわけでね。仕事をするときは、ぜひ気持ちよくやってください。

いくら儲かるんだ、とかいうのは置いておいてね。

暮らしがあるから、というのは脅しですよ。忘れていいんです。

脅しをやめたら、人生が楽しくなります。やってみてください。

 

生きるための努力は、やめたらいきなりたのしいんです。心がね。

無執着、ということなんです。

計画のはなし

計画を立てるのは苦手なのです。

何が一番嫌かというと、それをなぞるというのが嫌なのですね。

とても退屈というか、マンネリを感じてしまうのです。

 

「ああ、わたしはただなぞっているだけだ。コピー機かなにかのようだ」

という気持ちになって、やるせなくなってしまうのです。

 

私は絵を描くときは、本当に計画しません。

まずキャラクターを一人書いて、

そこから流れを作ります。

もし最初から計画があって、

下書きがびっしりとされた画用紙が目の前にあったら、

私はとてもじゃないけれど筆を入れられません。

筆を入れる前に、その見え透いた工程を思って

うんざりしてしまうのです。

 

 

しかし社会では「まず計画しなさい」と言う。

そしてそのとおりにやりなさい、という。

「計画は嫌です、その場で思いついたことをやります」というと、

けしからん、そんな行き当たりばったりではだめだ、という。

 

(世の中では誰でもみな立派に計画していると思う。

しかし誰かうまくいっているだろうか。

国会でも立派にいろいろな計画を毎年立てるけど、

あんなに知識人が集まっても毎年なにも変わっていない。

計画するほど人がしあわせになれるというなら、とっくになっている。

 

そんなわけで、私たちに本当に必要なのは、

完璧な計画、よくできた下書きなんかではなくて、

何かあっても、今この場でなんとかしてみせます、という

ある現場力だとおもうのです)

 

 

私は計画したくないし、計画通りなんて苦痛だと感じる。

(大抵計画通りにはいかないのだから!)

しかし世の中ではどこにいっても計画をしなければならない。

一番嫌なことを必ずする羽目になる。(しかも結果がでない!)

 

 

そんなわけで、私はいわゆる会社勤めには向いていないのです。

人に迷惑をかける人は、

苦しみが先にあって、それで迷惑をかける。

 

悩みや苦しみのない人は、

最初から他人に迷惑をかけない。

 

他人に迷惑をかけたり、嫌なことをすると、

さらに自分が苦しい目にあうことになる。

苦しいところから始まり、さらに苦しいところに進むことになる。

本人は楽になりたいのに、これでは全く反対の結果になる。

本人は、それがわからないくらい混乱している。

 

彼は苦しんでいて、迷惑をかける存在になってしまった。

迷惑をかける存在になることで、さらに彼の苦しみが増す。

 

そのようなわけがあるので、

わたしたちはだれかに嫌なことをされても、

腹をたてるのではなく相手の心配をしてあげるべきです。

 

 

勝手に呼んでいる話

絵をあまり描けなかった1日に、

何か1つ絵を描いてから寝たいですとか、

ペンの筆圧が恋しくなるときがあります。

 

 

それを私は勝手に、右脳の空腹と呼んでいます。

どんなに目を凝らしても

どんなに目を凝らしても明日すら見えない

そんなわけですから こんな絵を選んでいます

必要な人に

自分の描いた絵で誰かが助かって欲しいと思って描いてるんです。

命を救うとか大げさな話ではなく。

 

今度出すお店に飾る絵が必要だとか、

大切な人に何かプレゼントしたいとか、

そういう、何か必要としている人のところに、

その人の必要なものが、何かトラブルなくスッと行き渡っていって欲しいです。

それが私の絵だったらとても嬉しいのだけど。

職人たちの話

弟子屈の砂湯「コタンの店」でフクロウを買った。

彫刻。

 

6,800円の値札が付いていたが、

3,000円で手に入れてしまった。

 

ハンドボールくらいの大きさで結構立派な木彫りであり、

半額以下では忍びないので、せめて5,000円出したいと申し出た。

しかし「俺が作ったものだから、俺の言う値段で買えばいい」と

ぴしゃりと制されてしまった。

職人というものはかくも欲のないものだろうか?