松村上久郎のブログ

ブログです。

いかに偶然と出会うか

「戦後サブカルチャー史DIG 2」の「ストリート」の回の録画を見ていた。

話が割と難しいのだけど面白いので、もう6、7回は見ている(ヘタウマの回は百億回見た)。

せっかくなので今回見て気づいたことを覚書として書いておく。

NHK ニッポン戦後サブカルチャー史 深掘り進化論

amzn.to

 

サブカルチャーは若者がストリートで生み出す

・が、そのストリートがテロ対策やらなんやらで次第に失われていった

・そのせいでいわゆる「族」がいなくなったり、若者がその辺でたむろするとか集会を開くというアレがなくなっていった。「若者文化の発信地」「震源地」が消滅したかに見えた。

・しかしネットやLINEの登場で「リーダー不在の暴走族」なんていうものが登場し始める。「族」の復活。ネットは「動員」の革命であった

・ネットでは色々な人がつながり様々なコミュニティが生まれる。では、サブカルチャーの「震源地」はどこなのか。コミュニティの果てる場所(C地点)をいかに発見するか。そこを見つけることが私たちの次の課題

 

 

だいたいこんな話だった気がする。ここまで話を聞いて思い出したのが、

この間スイッチインタビューで放送作家鈴木おさむ氏が言っていた

「いかに偶然と出会うかがひらめきの鍵」という話を思い出した。

 

ネットを使っていると「自分は最新の情報に触れているぞー」という気持ちになる。

だけど実は自分の気に入ったテーマや好きなことばかり調べるので情報に偏りが出たり、

知らない間にマンネリに陥ったりしている。ネットを好きなだけ使っているはずなのになぜか退屈しまくっていたりする。

 

イラストの資料を調べる時も同じで、やっぱり自分の興味ある分野、好きな分野だけ調べていると情報が偏ったり、いつもと同じ絵ばかり描いてしまうことになる。これではせっかくネットを使っているのに一向にひらめきが湧いてこないし危険だ。個性とかオリジナリティというものからかえって遠ざかっている。

 

つまり、ことネットの時代において、「いかに偶然と出会うか」というスキルが重要なんだと思ったのである。

「偶然」をネット上で味方につけられるなら、それはまだ発掘されていない最先端のカルチャー(C地点)を発見することにもなり、自分の創作活動のマンネリを打破し新境地を展開することにつながる。

AmazonでAIが「これ興味ある?」と言ってくれるけど、面白い偶然まで提供してくれるかどうかまでは謎である。

あえていうなら、巧みに「偶然」を提供するAIを開発することに成功した企業はさらに世界を席巻するんじゃないかなと思う。

そういえば適当なフレーズを組み合わせて何通りかを自動で生成して提案するアプリなら既にあるし、そういうアプリをいかに使いこなすかということでもあると思う)

 

 

ところで、私も「偶然」というのが自分の課題というか、そう思い当たることが割とある。

デザインフェスタコミティアといったイベントにはいつも出るのだが、

自分の中でこういうイベントが「マンネリ」になってきている気がしているのである。

会場に来るお客さんは毎回違う(もちろん常連さんもいるけど)。

だけど会場そのものは同じだし、やっていることも毎回ライブペイントだから、同じといえば同じ。

実際にやり始めれば退屈はしない、むしろ忙しい部類なのだけど

「今回は一体どうなってしまうのか」という、予測できないほどの何かがあるわけではない。

悪くいえば、「イベント」に慣れてしまっている自分をどこかでひしひしと感じるんであって、

そうして新鮮さを失っていくのはクリエイターとしては非常に良くないなと思っているのである。

 

そうなってくると、これはやっぱりいつもと違うイベントに出るとか、

あるいは自分で作るとか。そういうことになると思う。

でも、「イベントを」「やります」と計画してしまうと、そこには「偶然」がないんです。

(場所と時期が違えば「偶然」とそれなりに出会えると思うけど「C地点と出会う」と考えるとなんか違う気がするんですよ)

 

「イベント」と「偶然性」を両立する形式はないのだろうかと思うわけです。

 

で、「偶然性」とは例えば「ゲリラでやる」ということだという話があるんですね。

場所もバラバラ、時間もバラバラ。計画はない。いきなりやる。

ちゃんと、いつもと違う場所・違う人と出会う時間をわざと作る必要がある。

それがやっぱり自分にとっての宿題、新鮮さを失わないための宿題だと思うわけなんです。

 

要するに新鮮なイベントを巧みに計画したいわけです。

あぁーどうしましょ。fin.

 

NHK ニッポン戦後サブカルチャー史

amzn.to