松村上久郎のブログ

ブログです。

お絵かきyoutuberの身体性と、リアルイベントに出る必要性

まちゅむらだよ。

自分用のメモなので抽象度の高い話になりそうだけど、暇なときに読んでね。

 

・絵かきの「身体性」について

ここでいう「身体性」って何かって言うと、そこに「誰かいる」ってことがどのくらい実感を持って信じられるかっていうこと(だとおもう)とします。

 

上手く言えないですけれど、たとえばyoutubeで動画を上げてそれをみてもらうことよりは、私がイベントでライブペイントをしてそれを会場で生で見てもらうほうが「身体性が高い」です。

目の前でやるわけですから。

 

・「身体性」がなければ発信者は正気を保てない?

で。

私のような北海道の田舎(というほどでもないけど)ぐらしの場合、人と会う機会も少ない。地元でリスナーに出会うことなんてマジで今まで1回もない。

動画の再生数も、実は1000回も100000回もほぼ同じくらい、「実感」はない。そこに実感はないんです。いやほんと。

配信での同接数は150~200で安定しているけれど、「学校1学年分くらいが常に見ている」と言われれば多く感じるが、じゃあ実感があるかというと、やっぱりないか、極めて薄いわけです。

 

これが要するに「身体性」が低い状態。

 

こういう状態で、リアルイベントがないとどうなるかというと、やっぱり正気を保てない。簡単に言えば、誰かの役に立っているとかいう実感が乏しいのだから、神経が参ってくるに決まっています。自分という存在が喜ばれているのかと。歓迎されているのかと。

 

昔は3ヶ月に1回で正気を保てたが、近頃は「2ヶ月に1回、いや1ヶ月に1回くらいリアイベがあったほうがもっと身体性が上がって精神的にいいんじゃあないか?」と思うようになってきたぐらいでもあります。

なんなら毎日「あー疲れたな」と思ったら1Fに降りてみて、そしたら数人くらいはだれか客かなんかがいて「あ、松村さんお疲れ様です」みたいな状況ならperfect.

まちゅむらハウス構想。まあ、わからんけど。

 

(コロナ禍のなかで私は正気を保てていたように錯覚していましたが、昨年6月頃に一度ウワチョリしたあたりは結局、身体性の欠如ということでも無自覚にかなり参っていたんじゃあないかという反省があるが、それはまた別の話)

 

・倍速のメイキング動画の身体性

 

で。このあいだ久しぶりに等倍速のお絵かきメイキングを投稿したんです。↓

youtu.be

 

単純にじっくりみてほしいという思いもあり等倍速にしたのですが、1つ「身体性」という点についても思うことがあったのです。

 

当然、お絵かきの動画をより高倍速にしていけば、その動画の身体性は下がります。

そんな素早く絵が完成するわけもないし手も素早く動くわけがないので当然です。そこに誰かがいるという実感は限りなく下がっていきます。

一方で、最近流行りのショート動画では倍速動画のほうが有利です。1分以内で絵描きが実力を誇示するには倍速なりカットするほうが合理的ですから、これは一応仕方ありません。

 

しかしながら、やはりそちらに乗っかりすぎてしまうと絵かきの「身体性」はますます低下していきます。

すると待っているのは、やはり、「コンテンツとして消費されて忘れ去られる運命の絵描き」という未来。身体性をなくすとは、本当にただの「コンテンツ」になってしまうということです。

 

再生数や登録者数の、数字のことだけを考えれば「コンテンツ」に徹するべきなのでしょうが、おそらくその方法で正気を保って10年単位で活動できる人間は少数派のはずです。どこかで無理がでると思います。私の場合は2016年から活動して、事実上6年目で一度ダウンした形になりました(飼っていた愛猫の死など複数要因が重なった結果ではありますが)。

 

(付け加えると、わたしが「ややこしくない絵の描き方」シリーズをyoutube上で途中からあんまり挙げなくなったのも、もしかすると、自分がそれ以上「コンテンツ的」になっていくのが直感的に受け入れ難かったのかも。こりゃこじつけか。でもまあ、またなんかやるかもしれないし。わからんね。)

 

・ネットで存在感を出しながら身体性の回復、あるいは両立していくことが重要?

 

そんなわけで、インターネット絵描きはやはりリアルイベントを欠かさないほうがいいんでないか、というのが個人的な結論なのであります。

 

まあ、身体性なり「おれは役に立っている」という実感のようなものをどこかで担保できるならリアイベにかぎらず何でも良いとは思うが。

 

顔出しをしていない、あるいはできないバーチャル絵描き的存在の方々の場合は、難易度がエグいかとおもうものの、仮面やマスクを付けるなりなどの工夫でうまいことリアルイベントも巻き込めるよう仕組んでしまったほうが身体性という意味でのリスクを軽減できる可能性がある。どこかで時間をとって取り組んでおいたほうがよいんではないかと思う。

 

例でいうならksonさんあたりは、Vtuberとして身体もあるし、ふつうに顔出し配信もしている。身体性の問題を考えるならば、顔出しありVtuberの人口は少しずつ増えるのが自然かもしれない。わからんけど。

(あ、わい自身は本チャンではvtuberのガワで、サブチャンでは顔出し。サブチャンネルのほうが身体性が高いということは言えるかもしれない。)

 

(これは備考ですが、配信の同接150人というのは、ちょうどダンバー数くらい。

人類学者いわく人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限」だそうです。

毎週土曜日のお絵かき配信を、”自分が無理なく継続できるくらいの絶妙な力加減でラクに続けた”結果、有効な共同体としての上限に最終的に落ち着いているというのはむしろ「身体性」の為せる技というか。面白い現象だなと思っています。

 

こういうことを踏まえると、わたしたちがネットで集客しながらしかも心身ともに健康的に生きていきたいと願った場合、実のところネットで無軌道に注目を集めたりバズったりを目指す必要はなく、むしろ自分の味方になってくれる人を~150人集められれば十分なのではないか、という数字目標が浮かび上がってきてよいんでないかとまた思うわけであります。

 

身体性を保ってネットの発信側になって楽しむとはそういうことかもという。)

 

・余談

 

私がなんか折に触れて「お絵描きカフェ」とかリアル的交流の場的な環境の話を考えたり口にするのは、こうした自分にとっての身体性の問題を、自分の現労働環境と両立しながらどうやってもっとクリアできるだろうかという問題なんや。

 

身体性とは自分ひとりの問題ではないので、ちゃんと解決すればちゃんと他の誰かも助かるかと思う。引き続き時間をかけてなんかいい形を考えたい。

 

あと今日は親父の誕生日でした。久しぶりにわいがごちそうしました。偉い。

 

了!