リスナーさんに勧められるままホイホイ読んでしまいました。
1つ面白いことに気づいたので、感想と一緒に書いときます。
以下感想。(ネタバレ含みます)
チェンソーマン、1巻だけ読んだだけでも
物語の構造としてかなり「攻めている」ことに気づきました。
具体的には、ポチタが速攻で4ぬ。
ドラえもんで言ったら第1話でドラえもんがポケットだけ残して未来に帰るみたいなスピードの展開です。
物語の構造の、基本の話でいうと、ドラえもんやポチタは「移行対象」ってやつです。
要するに、主人公の相棒だったり、精神的に支えたり、主人公が一人前になるまでそばで見守るような友達のキャラクターのことです。
通常は、主人公が一人前になったらいなくなります。
ドラえもんの場合でも、のび太がジャイアンにケンカで勝つのを見届けて、ドラえもんが安心して未来に帰るっていう話の流れでした。
今アニメでやってる「ダイの大冒険」でも、勇者ダイの相棒のゴメちゃんはもっと終盤でアレがチョリチョリするので、この辺も王道です。
要するに、主人公の相棒ってそんな早くいなくならないのが普通といえば普通なんですね。
しかし、チェンソーマンは違います。もう速攻で4にます。
割とビビりました。すげー思い切ったことするなーと思いました。
代わりに、主人公の一部?的な感じになって主人公と一体になった的な感じになってます。
まあ厳密に言えば、多分ポチタとの「本当のお別れ」はまだ先で、
もっと主人公が精神的に成熟して「一人前」になった段階でポチタが主人公の体から抜けるとかいなくなるとかして、っていうくだりが物語終盤にあるのかなっていう感じはします。
そういう意味ではまだそこまでトリッキーではないのかなと言えなくもないです。
(まさか...女を抱いた瞬間に成仏するんじゃないだろうな.......)
そんな感じですが、こちらも鬼滅の刃同様、すでに完結したらしいので結末は判明しているんですけど、
個人的には、それを確かめるためだけに読み進めるにはちょっとキツイ話かなって感じです。
理由はいろいろあるのですけど、
主人公が犬的な感じで、いろんな人にいいように使われている感じが割と見ていて辛いっていうのはかなり大きいです。
「鬼滅の刃」であれば、鬼に人生を翻弄されてはいるものの、主人公は自分の意思で「妹を人間に戻すぞ」と戦います。
チェンソーマンの場合は割と強制的ですね。「4にたくなかったら手伝ってね」ということで。ほとんど強制です。
その辺の、まあ理不尽な感じが読んでて正直ちょっと辛いですね。
一応「鬼滅の刃」も「チェンソーマン」も「日常を取り戻したい、普通に暮らしたい」という気持ちが主人公にあって、それで物語が進むんですけど。
チェンソーマンの場合、主人公が割と早めに満足してしまう。で「この暮らしを維持する」というのがモチベーションに変わる。
あとはおっぱい揉みたい、女を抱きたい、という。
炭治郎と比べてしまうと、個人的には、どう応援していいか微妙にわからなくはなっているんです。
でも、実際にどっちが自分に似ているかというと、チェンソーマンの主人公になってしまう。
(フタを開けたら性欲しかなかった、という感じが...)
その辺りが、なんというか、身につまされてしまうんです。
割としんどい読後感があるわけです。
(余談ですが、この間ツイッターで「平成あたりの漫画は夢・希望とか海賊王とかでまだ人気が出た。今は「日常を取り戻す戦い」っていう漫画がヒットするあたり、時代が変わったんだな...」的な話を見かけて。なるほどなーと思いました。
そこに行くと、日常を取り戻した人間が次に考えることはおっぱいでありセッ●スであるっていう話をチェンソーマンはもう1巻でやっているわけです。
あと昔、「ラル・グラド」っていう小畑健さんが作画やってたファンタジー漫画があったんですけど。これもジャンプなんですけど。こっちはこっちで主人公の男の子がおっぱいおっぱい言う感じで。後半にいくにつれ滑っていって終始見づらかったりはしたんです。
主人公が女好きだったり性欲を肯定して原動力にして頑張る系の漫画は個人的によくわからない原因不明の読みにくさがつきまとうって言うトラウマがあったりして。それも含めて、このあと読むモチベーションがなかなか湧いてこないような気もする。。。続きそのものは気になるけど…どうしようかって感じ...)
2巻以降を読むかどうかは未定。それでは、また。
あ、鬼滅最終巻の感想を書くタイミングを完全に逃している.........どないしょ..........