結局、22巻まで一気に読んでしまった。 1巻を読み始めてから5日間の出来事である。
23巻はまだ単行本が出てないのでお預けです。待ち遠しい。
書きたいことが結構あるので箇条書きで思うさま書いていきます。読みにくいかも。失礼。
※ネタバレを含みます。ご注意ください。
↑悲鳴嶼さん好き。
・ワニ先生は「この世のすべてのキャラクターは(何らかの面で)かわいい」と信じている節があるなぁ、と以前から感じている。女性作家に多い傾向だと勝手に思っている。しかし不快ではない。むしろそれが鬼滅のある「しんどさ」を軽減している効果がある。鬼狩りの厳しい話に読者がついていけたのはそういうバランスが巧みだったからだとも思う。
・上弦の鬼を倒していく炭治郎だけど、表彰されていきなり柱になるとかっていう描写は出てこなかった。というかそういう「論功行賞」みたいなのを行う暇もないくらい鬼との戦いは絶え間がないし苛烈であるっていう感じもする。柱として認められるかどうかより「実際に強くなったか、実力が手に入ったか」という描写に集中した結果とも。そもそもチームプレイで打開するというところがメインのメッセージにあるので「主人公一人の功績を描く」っていうモチベーションはあまりなかったのかも。
(「キングダム」だと主人公の信の身分がどんどん上がっていく様子を丁寧に描くんだけど、あれは信が大将軍になるという目標を物語の最初から持って動いているので書く必要があるわけですね。周囲の、信を慕っている人間もそれを見て喜ぶ。必要。
一方で炭治郎は「妹を治す」「無惨を倒す」が目標で、「柱並みの強さになる」ことが条件だったけど「柱になることそのもの」は条件に入ってないわけですね。微妙な違いだけど。)
・作品全体を通して修行→バトル→修行→バトル→修行...というループだけど、これは単調に見えて、読者からすれば安心して読み進められる展開だったりする。変に謎解きや推理パートでテコ入れをするとやっぱりダレるリスクがあったりする。
ドラゴンボールとかがまさに同じ構造で、バトルと修行を交互に繰り返してどんどん強くなる敵とどんどん戦うというストーリーの構造だったりする。構造が単純なのでダレないようにするために作者の力量がモロに出るスタイルだと思う。
つまりこういうテンポのバトルものは、出し惜しみをしないこと(出し惜しみせず連載を続けるアイディアの引き出し)と、脱力するときは一気に脱力することの2つが欠かせないのだけど、どっちも決めたワニ先生は何度もいうけどすごいと思う。
(余談だけど、ドラゴンボールにも一応批判がある。「構造”しか”ないではないか!」という批判である。 実はもっともな指摘だったりする。DBの場合確かに、究極的にはバトルと修行しかしてないし。しかしDBが世界的なヒットになったのは「構造”しか”ない」ゆえに誰にでもわかりやすくて興奮でき、また親しめるからではないか、という分析もある。はえ〜。。)
・上弦の鬼の6を倒した後、5と4がいっぺんに来たのがいい。これが5、4と一人ずつくるとやっぱりちょっとダレたと思う。「ダレ」とか「グダつき」に対する嗅覚がやっぱり鋭いと思う。長期連載のために温存しようとかそういうアレが全くない。読んでいて本当に気持ちいい。まあ、ハラハラするけど。(なんかに似てるなーと思ったらあれ、ジョジョの奇妙な冒険の3部の承太郎の冒険に似てる。スタンド使いに襲われてない回がねーもんあれ。息つく暇もない)
・そんで今思うと、下弦の月を無惨様がパパッと間引いたのも絶妙なタイミングだったと思う。鬼滅隊が下弦を一人ずつ潰していってやっと上弦っていうのはやっぱりダレる。それなら適当に間引いて見込みのあるやつをドカンと当ててしまった方がテンポがいい。で、下弦の生き残りの例の無限列車のあいつをぶっ飛ばした後に上弦の参が出てくるっていう。参っていうのがまたいい。表彰台では一番下。だけど上弦では上半分。ちょうど良すぎ。ナイス。
・16巻はすごく長く感じた。2,3巻分くらいの情報量があったと思う。すごい巻だった。
・いやあかん。16巻以降の1巻ごとの充実度がやばい。濃厚すぎる。仕事が手につかない。動画の編集とかもほっぽり出して夜中の3時まで鬼滅読んでる感じが3日くらい続いています。
・悲鳴嶼さん好き。柱合会議のときは取りつく島もないカタブツ野郎だと思っててすみませんでした。柱の中で一番ヤバそーと思ってたけどマジで一番強かったので予想が当たってちょっぴり嬉しみ。
・蛇柱さんが恋柱さんに好意を寄せているその理由が自身の生い立ちとちゃんと関係しているのがよかった。キャラクター全員に、その行動に納得のいく過去を用意するのはすごく丁寧な仕事だと思うし、ものすごい労力だったんじゃないかと思う。頭が下がる。
っていうか、本編を描いた合間にオマケで「鬼滅学園」の設定かける余力があるのがすげーって単純に思う。
・炭治郎自身は、かつて無惨を追い詰めた剣士の血族ではない(無一郎は血族だったのだけども)。だけど意思や技を受け継いで無惨を追い詰めるわけです。「血縁だけが繋がりではない」というメッセージです。「血統が優れていたから勝ちました」という貴種流離譚の流れを否定しつつも「それでも戦える」という構成なわけです。先祖の交流・友情があって今があると。
この辺はドラゴンクエスト5と一応同じメッセージなんですね。ドラクエ5では主人公は勇者の血族ではありません。正確には、自分の息子が勇者として生まれてきて、主人公自身が勇者ではなかったんです。だけど、世界の平和を守るために戦うことができるんだよという。極めて良心的なストーリー構成な訳です。私も個人的にはそういう方向の話の方が好きです。
特に現代は才能がどう、生まれがどう、個性がどうっていう悩みがさらに蔓延している世の中なので、こういうメッセージも大事。
・猫ちゃん生きてたあああああああああああああああうわああああああああああああんんんんよかったよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおンンンンあああああああああああああんもおおおおおおおおおおお
・ほぼ全てのキャラクターについて、家族というテーマに寄り添って描き切っていた。最初に設定した根本的なテーマからズレずに描き切ることは実際には難しいし勇気がいること。
・剣技の高みとか、「究極的な次元」みたいなのをどう描写するかってすごくこう、作家自身の霊的な部分を問われるっていうか。「こういう感じかもしれない」って、自分が言外の領域で感じるものがあって、要するに何かピンとくるものがあって描けるんだと思うわけです。自分が剣術をやってるかどうかじゃなくて「あっ」と思うかどうか。多分あったんだと思う。
ちなみに「バガボンド」っていう宮本武蔵を描いた漫画があるんやけど。そっちでもやっぱりこう、精神的な高みの描写が出てくる。よくかけるなーっておもう。
ワニ先生はここまで「マジなクズ」と呼べるキャラクターを一人も書いていない。全ての人間に事情があり、どうしようも無い感情が時としてあるのだという姿勢を一度も崩していない。
(ワキ役にしても単行本の合間のおまけページでフォローを入れる徹底ぶりである!)
そして最終巻で無惨様についてどんなエピソードを持ってくるのか。どんな救いを用意するのか。個人的にはそこが一番期待だったり。
12月の電子書籍が待ち遠しいのである(私はすでに予約済み)。